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by nadfngadi

第24回 戦死者、上村元太氏の日記から

今年も、何とか無事、8月15日の終戦記念の日を迎えられたことに感謝します。戦時下を生き抜いてきた方々が、日々お亡くなりになっています。戦争は決して、美しいものではなく、悲惨そのものということを、私は多くの手記で教えてもらっています。

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今回は、中央評論の「戦争を生きた先輩たち」から、戦死された上村元太氏の実直な手記をほんの一部ですが、ご紹介させて頂きます。
我々庶民は今、平和実現の為の闘いが、静かに始まっていることに気づく必要があります。

上村元太
大正10年1月1日生まれ。兵庫県尼崎市出身。埼玉県大宮市で少年時代を過ごす。
昭和17年:中央大学専門部法学科卒業。
同年10月:同大学経済学部入学。
昭和18年1月10日:学徒召集により中部第三八部隊入営。
昭和20年4月21日:沖縄島宜野湾方面戦において戦死。当時24歳。


生きたい」とこれほどまでに考えつつ、死に直面した時の苦痛は思いみるだに顔をそむけたくなるほどゾッとするものであろう。「生きて帰る」俺にはまだまだ山ほどの人生がある。いや俺ばかりでない。生きとし、生けるものすべてだ。それがみんな死の中で育ち、ほんものの死へ這入っていかなくてはならぬとは。「生ける屍」キザな言葉だが、この凡そ未来と希望をなげうっている言葉に、真実性があるのだろう。
赤紙を受け取った後の俺がいまだに死を怖れ生活をおほほする(果す、あるいは生す、のいずれかと読みとれる)のは、莫迦げ切った話なのか」

「昨日一日と今引き続いて、一層の事自殺でもしたらとも思いたいしかし母がいる。その母が一心に待ちわびているのに帰れるのに、運命の皮肉、人生の皮肉、幹部候補生にうかっているとは。泣いた、心から。今でも一人でいれば泣けてくる。後四年、小さい時から大嫌いだった戦争へ、なにを好んで四年間も五年間も。えい死んでみたい。母さえいなかったらおそらく昨日死を決意したかもしれなかった。生ける屍の生活を後四、五年。社会へでられるのは三十の声を近くきくのか。皮肉、皮肉。しかもどんじりで合格しているとは。後ちょっと、点数でほんの一点かそこらで、運命は大きく動いてしまう」


上村元太氏の日記は、「きけわだつみのこえ―日本戦没学生の手記」にも記載されています。是非、ご一読ください。



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by nadfngadi | 2008-08-15 21:37